保坂世田谷区長様

 

「こころの健康政策構想会議」で提言された方向性についての私見

 

 

大阪府立大学大学院人間社会学研究科博士後期課程

山崎真也

 

 

 私は、以下の理由から、東京都立松沢病院院長・岡崎祐士氏が共同代表を務め、厚生労働省とも一体となって、各種精神保健制度の提言を図っている「こころの健康政策構想会議」に連なるあらゆる政策的企図に対し、強く危惧の念を抱くものであります。世田谷区長様におかれましては、今後同政策構想会議及び厚生労働省が展開するであろう各種精神保健事業において、世田谷区がモデル地区となり、率先して事業展開・政策展開を図ることのなきよう、万端のご配慮を賜りたく、ここに衷心よりお願い申し上げる次第でございます。

 

 理由1:「こころの健康構想会議」中心メンバーの岡崎祐士氏や西田淳志氏は、理論的バックボーンとして、オーストラリアにおけるARMSAt Risk Metal State、精神病を発症するリスク状態=まだ精神病を発症する以前の状態)研究──その早期発見及び予防的早期介入のための研究──を抱えている。だが、ARMSや、その洗練を図ったUHRUltra High Risk)群は、そこで出現する症状が非特異的であって、たとえUltra High Risk群に定義されている症状を満たしている人がいたとしても、その人が将来確実に精神病を発症するとは絶対に言えない。最近では、UHR群の1年後精神病移行率は10数パーセントと言われている。このような低い予測精度のUHR群に対して、「早期介入」を加えること、例えば抗精神病薬を投与することは、偽陽性、即ち、本来なら自然経過で症状が消失するか、実は精神病を発症しなかった群をかなりの程度で含まざるを得ないことから、重大な倫理的疑義を引き起こす。岡崎氏らは、早期発見システムを整備し、自分たち「専門家」が早期から正確に診断することで、的確な早期介入・予防システムを構築できると主張するかもしれないが、事態の本質は、「専門家」であろうと、偽陽性と真陽性の鑑別診断は原理上不可能であるという点にあるのである。岡崎氏らは、「こころの健康構想会議」の提言書の中で、法的に裏付けられた精神病の早期診断・早期(予防的)介入システムを確立する必要性を訴えている[1]が、しかし偽陽性問題という重大な倫理的問題に対する具体的方策に関しては──それどころか、そうした倫理的問題が存在するということ自体について──一言も触れていない。このような根本的な問題点について、一言も言及することなく、実現すべき何か素晴らしいものとして「早期(予防的)介入」を表象させる手法は、かの原子力業界が、原子力発電の効用ばかりを喧伝し、重大な事故の可能性やリスク分配(本質的には分配の差別構造)の問題を過小評価し秘匿してきたのと、全く同断である。そうした欠陥のある政策を、あまつさえその法的整備を実現させることに対しては、断固反対せざるを得ない。

 

 理由2:上記のように、UHR群の症状非特異性と、それにより一定の偽陽性者が不可避的に発生することから、近年、オーストラリアの「精神病の早期(予防的)介入」研究者たちは、本来の目的である精神病の発症予防から、「こころに問題を持った若者」一般に対するメンタルヘルス支援事業に活動の軸足を移し変えてきた。そこでの対象は、不登校や引きこもりやいじめやドメスティック・バイオレンスや自殺や「うつ」や路上生活者等々の、全く茫漠とした広範な諸問題である。「こころの健康政策構想会議」でも、これらの諸問題が克服すべき対象として規定されている。然るに、これらの諸問題が果たして精神医学的問題であるとアプリオリに主張されるだろうか。例えば、不登校に関しては、奥地圭子氏らが、これを精神医学的問題に還元し、「病気」と見做すことの弊害を多年に渡り主張してきた。また、自殺に関して言えば、その原因として、社会的・経済的背景、例えば経済格差や労働問題に言及せざるを得ないことは寧ろ自明であり、これを、「こころ」即ち個人の精神医学的問題に還元することが如何に愚かな試みであるかは、もはや説得に贅言を要すまいと思われる。「こころの健康政策会議」の基本路線は、こうした背景をなす社会的問題を糊塗し、問題の所在を専ら個人の精神医学的・心理学的欠陥──例えばストレスマネジメント能力の不足や「認知の歪み」など──に還元しようとする試みである。その場合、精神医学や心理学の「専門家」が、学校での啓蒙的教育や地域の「電話相談」、又は「アウトリーチ」においてストレスマネジメント訓練や「認知行動療法」を積極的に提供し、精神医学的治療や訓練を介して個人の心理学的問題に介入するなら、もって当初の問題(引きこもりや自殺など)が解消できると前提されている。ここに見られるのは、あらゆる問題を想定された個人の能力の欠陥に還元し、そして医療化medicalizationするという、古くて新しい問題である。引きこもりや自殺と言った諸問題を、専ら個人の「メンタルヘルス」の問題に矮小化し、「専門家」集団の手に委ねるべきなのか。それとも、もっと広い社会的文脈の中で捉え、引き受け、考えて行くべきか。本来は、このような社会の在り方、方向性に関するメタレベルの問いが先行していなければならないはずである。それにもかかわらず、(自殺やドメスティック・バイオレンスや引きこもり等々の)「これら全ての問題の基礎には、こころの健康の問題があります」[2]などと最初から恣意的に断定し、包括的な国家的政策が必要であると主張してやまないというのは、本来あるべき段階を踏み外した性急な主張、精神医学やその「専門家」及びその国家的組織化に対するあまりに楽観的な見方に基づく、安易な期待と無邪気な願望の表白に過ぎないと言わざるを得ないのである。以上のような根本的問題を孕んでいるが故に、私は、「こころの健康政策会議」において提出されているメンタルヘルス事業の方向性に異議を唱えるものである。

 

 

 主に上記2つの理由により、「こころの健康政策会議」の提唱する諸政策について深く憂慮致すところでございます。世田谷区における精神医療福祉政策の、政策立案及び意思決定において、ご参考にしていただけますならば、幸甚の限りでございます。



[1] こころの健康政策構想会議「こころの健康の保持及び増進のための精神疾患対策基本法案(仮称)制定に向けて」、こころの健康政策構想会議『こころの健康政策構想会議提言書』、所収、平成22528日、36頁、第3項。

[2] こころの健康政策構想会議『こころの健康政策構想会議提言書』、平成22528日、17頁、強調原文。

定し、包括的な国家的政策が必要であると主張してやまないというのは、本来あるべき段階を踏み外した性急な主張、精神医学やその「専門家」及びその国家的組織化に対するあまりに楽観的な見方に基づく、安易な期待と無邪気な願望の表白に過ぎないと言わざるを得ないのである。以上のような根本的問題を孕んでいるが故に、私は、「こころの健康政策会議」において提出されているメンタルヘルス事業の方向性に異議を唱えるものである。

 

 

 主に上記2つの理由により、「こころの健康政策会議」の提唱する諸政策について深く憂慮致すところでございます。世田谷区における精神医療福祉政策の、政策立案及び意思決定において、ご参考にしていただけますならば、幸甚の限りでございます。